Letting Goという概念がある。
日本語では「手放す」と訳されるが、その語感ゆえに多くの場合誤解されている。
まるで、何かを投げ捨てるようなイメージで使われてしまう。
しかし本来のLetting Goとは、「手を離す」こと。
すなわち、自由にすること。
手の中の蝶が傷つき、死んでしまうのを恐れれば恐れるほど、
強く押さえつける手は開けなくなってしまう。
守ろうとするあまり、恐れるあまりに。
力み、緊張し、やがて蝶も自分も呼吸を失っていく。
Letting Goは、弛緩である。
不安が残っているままでは力みは抜けず、手を開くこともできない。
直視しなければならないのは、不安や恐怖という感情そのもの、
そしてそれがいかに頑なであるかということ。
それを経て初めて、ふと力が抜ける瞬間がある。
その瞬間に一歩を踏み出せるか。
つまり、手を開いて蝶を自由にしてやれるか。
それは蝶自身を信頼することでもあり、
その蝶が自由に羽ばたき、
時には自分の肩に戻ってくることを許すことでもある。
ペルソナは、それ自体が問題なのではない。
ペルソナの存在に無自覚であること、
そしてそれが幾重にも重なり、癒着してしまうことが問題なのだ。
役割から解放され、そこから自由になれば、仮面たちは付け外しできるものとなる。
それぞれ色も形も違う蝶たち。
彼らは、自由に舞っていてこそ美しい。
